山本菜奈/林将平
神奈川県出身/東京都出身
可能性しかない町
菜奈:下川町の名前を初めて見つけたのは、大学4年生の時です。カナダでの留学後、休学して日本のどこかの地域でインターンをしたいと考えていました。両親が北海道出身で、脈々と続いてきた文化と、新しい文化が混ざり合っている北海道ならではのダイナミックな開拓の歴史が好きだったこともあり、道内の地域に行けないか、探していたんです。その情報収集先として見ていた地域おこし協力隊のウェブサイトに、「課題先進地」と書いている地域を見つけました。「課題先進地? 可能性しかない!」と思って、すぐに連絡を取った先が、下川町だったんです。
当時、下川町ではインターンを受け入れる枠組みやプログラムなどは特にありませんでした。ですが、営業資料を作って「誰かの自己実現を後押しすることで実現するまちづくりを、間近で見てみたい」と思いをぶつけました。いま思えば、どうしようもない資料だったと思いますが、町の方がインターンできる枠組みを作ってくれました。そして2017年の冬から1年間、下川町でインターンをさせていただいたんです。
将平:私には、北海道とのゆかりはありませんでした。今回、お試し移住をすることにした理由は、2つあって。ひとつ目は、雪のある暮らしをしたかったということ。学生時代にスウェーデンに留学していた時、自然に近い暮らしは豊かさとは何かを追求できる環境だなと感じていました。例えば雪を使って遊んだりとか、森林浴をしたりとか、日常のなかに自然が溶け込んでいるんですよね。特に雪のある美しい風景が好きだったので、帰国後も雪のある暮らしをしたいなと思っていました。
ふたつ目の理由は、菜奈から下川町の話を聞いていたことと、下見に来たときに実際に出会った住民の方々の存在です。コロナ禍になった当時は、ふたりで東京に住んでいました。けれど、これからも高い家賃を払って都内に住み続ける未来が、どうしてもイメージできなくなってきたんです。理想に近い形で過ごせる地域に移住しようという話が出た時、菜奈がどっぷりと生活に浸かっていた下川町は、すぐに候補地として挙がりました。自分も、下川町で作られたトマトジュースを飲んだり、町内のお祭りの様子や企業の方々のいろんな思いを菜奈から聞いたりしていたので、「下川、いいな」と思うようになりました。
菜奈:私たちの仕事は、日本にいる難民と呼ばれる人たちのサポートです。難民の人たちとの仕事は、学生時代から関わっている事業ですが、いま私がメインで手がけている事業の種は、下川町でインターンをやらせてもらっている間に芽吹いたものなんです。それも、下川に思い入れがある理由の一つです。
飛び込みでインターンに来てから、いろんな企業や団体の代表の方々にインタビューをして回ったことがありました。あの取材を通じて、地域の産業の課題や代表の方々の熱い思いを知ることができました。地域の飲み会にも呼んでもらえるようになったり、町内の事業者さんの現場でバイトをさせてもらったりしたこともあります。
現場の声を聞きながら、担い手不足という課題と、よそ者に寛容な下川町の風土を体感して「あれ?」と思いました。難民の人たちは、日本でのキャリアを築くために必死で活動をしています。一方、下川町では働き手や次期経営者候補、ブレーンが不足して困っている。この点と点を繋げてみると、両者にとってより良い展開が生まれるのではないかと思ったんです。そう気づいてから、町内の企業さんと難民の方々のマッチングを構想し始めました。当時の下川では、なかなかうまくいかないこともありましたが、トップの方々がすごく真剣に話を聞いてくれたり、調整しようとしてくれたりしました。東京に戻ってからも、難民の人のキャリアに伴走しつつ、日本の企業の課題解決や新しいイノベーションを創出する事業を行っています。もし、下川で私の構想を町内の方々に話した時に「そんなのニーズがないよ」とか「よそ者や外国人と働くなんてイヤ」という声があったら、きっといま私が手がけている事業は生まれなかったと思います。企業のトップの人の熱量と、現場で働く人たちの温度感や求めているものの違いを、手触り感を以って知ることができたのも、今の仕事へのきっかけを得られたのも、下川で出会った方々のおかげです。
今回、ふたりでお試し移住をことや、結果的に移住に至ったことは、インターン時代の経験は直接的には関係ないですが、他の地域だとちょっと身の丈に合わないかもしれないような挑戦も、下川で始めるなら応援してもらいながら前向きにできそうだなって、そんな確信がありました。
あえて寒さの厳しい冬にお試し移住をスタート
菜奈:下川町でのインターンから5年経って、ある意味、仕事だけでなく働き方さえも自分たちが作っていけるフェーズになりました。さらに、コロナ禍になって働き方や生き方の実験を、いろんな人がやり始めたときに「自分たちは働くこと以外の暮らす部分を、どういうふうに味わっていきたいか」を考え始めました。そこでまず、2021年9月に、ふたりで下川町に数日滞在しました。五味温泉に泊まって、小峰さんが飼っている、どさんこ馬のハナちゃんと触れ合って、移住相談窓口の立花祐美子さんと話をして。私にとっては、5年ぶりの下川町だったから、楽しく過ごしました。
お試し移住の候補先は、下川町以外にもありました。既に知り合いがいたり繋がりがあったりする地域にも行きましたが、地元の人との触れ合いや移住相談の窓口までは、案内してもらえることが多いです。ふたりで最初に下川町を訪れた9月の時点では決め手が分からず、「どうしようね」って相談していました。ちょうどそのタイミングで、知人が家を貸してくれることになったんです。しかも、その家には薪ストーブもあって、期間限定で住まわせてもらえる、と。その提案をもらえたことが、下川町でのお試し移住の決め手になりました。
将平:9月に来たとき、下川の人たちには、すごく良くしていただきました。ただ、僕は冬の下川を知らないし、実際に住んでみないと大変さは分からないと思っていて。そうやって悩んでいたタイミングに、たまたま家を貸してもらえることになったんです。だから「あえて寒さの厳しい冬に、お試し移住をしてみよう。冬を乗り越えたら何でもいけるだろう」と思って、2021年の11月末から1月までの約2ヶ月少し、その家に住まわせてもらいました。
菜奈:お試し移住を始めた最初の1週間は、ホームシックでした(笑)。インターンをしていた大学生の頃は、所属先も仕事も町内にあったけれど、今の仕事は東京がベースですし、直近の友人たちも関東圏に住んでいて、すぐには会えません。コロナ禍ということもあって、町内のイベントがすべて中止や延期になったり飲食店が休業していたり……。でも、暮らし始めて2週間目からは、以前下川町で過ごしていた頃とは違うおもしろさに、徐々に触れられるようになっていきました。
下川町で体験できる中身が、5年前より格段にパワーアップしていたんです。5年前は無かったパン屋の「jojoni」さんのパンを買って食べることができたり、Googleマップには載っていない「ヨナタンストア」という雑貨屋さんが新しくオープンしていたり、地元の方々が新しいお店や取り組みを始めていたり。土地のパワーが、すごく上がっていると感じて、とてもワクワクしました。
「わがままかもしれない」という葛藤を経て
将平:本当は、来る前は結構不安なことが多かったんです。特に自分は下川町に初めからゆかりがあるわけではなかったし、下川で仕事をしているわけでもないですし、どういうふうに地域の人たちと関係を作っていけばいいのかなって。
でもありがたかったのは、自分のことを気にかけてくれる方が町内にとても多かったことです。飲食店とかに行くと「どこから来たの?」「どうして下川町に来たの?」って、いろんな方が話しかけてくれるんです。町内で関わるお一人お一人から、よそよそしさを感じないというか。話をする中で、友達ができて、不安が少しずつなくなっていきました。
それから、都会の中ではなかなか体感できない五感への刺激が、とても心地よくて。例えば薪ストーブの火や、満月の夜だけ開催される、森散歩「ムーンウォーク」に参加して、月の明かりだけで雪の冷たさや硬さを感じたり。これまで眠っていた自分の野生と五感が、少しずつ呼び起こされていく感覚がすごく気持ちいいんです。
菜奈:お試し移住として3ヶ月を過ごす中で、私も悩んでいたところもありました。先程お伝えした通り、ふだん私たちは難民と呼ばれる方々と一緒に仕事をしています。彼らは、自分がもともと暮らしていた地域に、いたくてもいられなくて、日本に移動してきた人たちです。そういう人たちと仕事で常に関わっているのに、自分たちのより味わい深い生活のために、大切な仲間たちからあえて離れた場所で、自分たちがやってみたかった暮らしに挑戦するのは、あまりに身勝手なんじゃないか、と。私達が仕事を通じて下川町の方々の課題解決を、すぐにできるわけでもない。ただただ、自分たちの暮らしを実験したいだけ。会社にとっても、この町で受け入れてくださる方々たちにとっても、わがままでしかないんです。だから、そのことに対して後ろめたさや迷いを感じていました。それに、下川町に住んでいると、仕事におけるインパクトを作らなければならない、みたいな、東京が持つうねりのようなものから外れているような感覚もあって、それでいいんだろうか、と。
でも、難民の友人に相談をしたら「5年後、今の出来事を振り返ったとき、絶対に下川町に暮らしていてよかったって思えるから、菜奈が思うようにやってみたいことをやってみなよ」って言ってくれて。やらないよりは、やったほうが、何かしらの意味を人生の中で解釈できるからって。その言葉で、自分の人生に集中していいんだって思えたんです。働き方とはこうあるべきだとか、移住とは、テレワークとはこうあるべきだ、というテンプレートに自分が当てはまってるかどうかを気にして、迷ってた部分もありました。でも「そういうことは一旦忘れよう」と。
だから、お試し移住を経て、住民票も移しました。5年前、移住するかどうかも、いつ戻ってくるかも分からない学生の自分に対して、下川の方々は掛け値なしで良くしてくれたし、挑戦を応援してくれたし、力を貸してくれた。いろんな選択肢や、いろんな生き方がある中で、今ここにいる人たちを本当に大切にできる下川町っていう地域は、たぶんこれからもいろんな働き方、生き方をする人たちにとって、居心地の良い場所になるんじゃないかって思います。
将平さん・菜奈さんの一日
ON
08:00 | 起床、jojoniのパンを朝食に食べる |
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09:00 | コモレビに移動してテレワーク |
12:00 | やない菓子舗でお昼購入 |
13:00 | テレワークの続き |
19:00 | 帰宅 |
19:15 | 五味温泉 |
20:00 | 夕食と晩酌 |
24:00 | 就寝 |
OFF
07:30 | 起床 |
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08:00 | タノシモ菜園クラブで畑作業 |
09:00 | 帰宅後、家事・キャンプの準備 |
10:00 | キャンプ場へ出発 |
12:00 | キャンプ場でまったり過ごす |
18:00 | 帰宅 |
19:00 | 菜園クラブで収穫した野菜で夕食 |
20:00 | 秘湯のリサーチ |
23:00 | 就寝 |
下川で築く手触りのある暮らし
将平:下川町で暮らし始めてからは、自分たちの生き方というか暮らし方を、自分たちの手で作っているという実感があります。都会だと、お金さえあれば何でも手に入るけど、手触り感はほとんどない。でも下川町では、例えば自分たちが食べる野菜は、自分たちで作れる。生産から食べるところまで一貫して携われるのが、とても楽しいんです。
菜奈:ミーティングが終わってパタン、とパソコンを閉じたときに見える景色が、東京の景色ではなくてパチパチ音を立てる薪ストーブの火とか、ちょっと息抜きに行くパン屋さんとか、仕事と全然関係ない方々に話しかけてもらう時間とか……そういう風景のほうが、しっくりきました。
意識しないと自分の行動って、どこに暮らしていても実はそんなに変わらないと思います。でも新しく下川町に拠点を移してからは意識して、東京ではやっていなかったことに挑戦してみようという気持ちになれる。だから、今は、家が欲しいです(笑)。
将平:家を買うなんて選択肢が、まさか自分たちに生まれるとは思ってもみませんでした。でも実際に家を買って、DIYで直したり改造したりしている様子を近くで見させてもらうと、「もしかして自分でもできるかも」って思えてくるんです。空き家を買うことが身近になったのは、東京に住んでいた頃と比べると大きな変化です。
菜奈:移住先を探していた半年前でさえ「いきなり空き家を買うなんて無理でしょ」って思っていたのに、今は空き家が欲しくてしょうがない(笑)。下川って、骨をうずめるために家を買うというより、3〜5年ぐらいの間にやりたいことを、とことん実験してみるために家を買う方もいるんです。大人の趣味って言ったらいいのかな。そういう方々の姿を見て、私たちもやってみたいって思うようになりました。「下川には、自分から関わりにいけば応えてくれる文化があるから待ってちゃ駄目よ」って、町内の方に言われました。今は、いろんな人に「空き家探してます」って書いたチラシを配ろうかって、話しています。下川町だからこそできる、自分たちらしい暮らしの実験に、毎日ワクワクしています。
Text:Misaki Tachibana Photo:Yujiro Tada