【下川町】町長 谷 一之

地元の民間企業で、社長・会長としてリーダーシップを発揮しながら、下川町議会議員を5期務めた後、2015年4月の町長選で初当選。人材育成や広域連携に力を入れ、国内外の地方自治研究などを行うNPO法人「日本自治アカデミー」では理事長を務める。


アレカラ
谷町長が印象に残っている下川町の出来事とその時町にどんな変化があったのかお聞かせください。

昭和50年代、22歳で下川町に戻り、その数年後、下川町は過疎率が全道1位、全国4位という、大変疲弊した状況におかれていました。そんなどん底の状態から這い上がっていこうと始まったのが、「ふるさと運動」でしたね。 私も、帰郷とともに、地域の事業所後継者が所属する商工会青年部に入り、様々なイベントや地域活動に携わりました。そして、ふるさと運動の延長において、万里長城祭やアイスキャンドルフェスティバルを起案し、のちに、商工会青年部の部長や各種イベントの実行委員長に就任することになったのです。それによって、さらにイベントや地域振興などを仕掛けていくことになりました。特に、イベント名を改称して地域特性を持たせることは、町民と町外者との交流を生み、ビジネスチャンスも生まれる可能性をもたらしました。

最初は行政や民間主導でも、いずれ町民をも巻き込む流れはどういう風に作りましたか?

イベントでは、ゲームやレクリエーションを駆使して、多くの人が楽しめる所から住民参加を誘発していきました。また、これらを進める上で、参加者の中から、イベントのスタッフとして参画してもらえるようになりましたね。それと、いかに行政と民間が協働で運営・運用していくかということにもこだわりました。例えばアイスキャンドルミュージアムの実行委員会では、官と民の部長職を半分半分にして組織体を形成しました。 このようにして、官民協働とともに、町民が参画できる仕組みづくりをしたのです。

イマダカラ
いまは町の事業者さんの人数も減り、地域活動に携わる余裕のある人が少なくなってきたと伺います。いま下川町で暮らす魅力って何だと思いますか?

いまの時代、組織に縛られての活動に抵抗を持つ人たちが多くなってきていると感じていますね。でもそれは裏を返せば、自由に行動を起こしている人が多いということです。自分のライフワークとしてやるものが町の施策などとマッチングできれば、その地域で充実感を抱いて生活することができるのではないでしょうか。都市の生活に合う人と、人口規模の小さな下川町みたいなところで合う人、雪が無いところがいい人と、この地域のように四季にメリハリがあるところに充実感を感じる人など、多様な人がいるわけですね。 今の時代は、一つの業種だけで通年を過ごすだけでなく、多様な仕事の選択をしながら年間所得を維持していくという選択肢もあると思いますよ。最近では副業を認めている企業も増えてきていると聞いています。

その多様な人材、多様化する生き方を下川町はどう受け入れようとしていますか?

多様な受け皿づくりは今後も求められてくると思い、下川町では、移住者や起業家を誘致するマッチング組織として、産業支援を行う産業活性化支援機構という中間組織の中に「タウンプロモーション推進部」を設置しました。 例えば、積雪寒冷地において一番のハードルは、農業、建設業、林業などの業種業態が、冬季間、営みがクローズされてしまうことです。そんな中、下川町では木質バイオマスエネルギーを活用して熱を供給することにより、冬の間も施設ハウスで営農が可能な環境をつくりだしています。このように、様々な条件を整備して、移住の可能性のある人材に対し、ターゲットを絞りながら受け皿づくりをしていきたいと考えています。

コレカラ
いま多岐にわたる新しい取り組みを継続し町に定着させるため、今後10年を担う人たちにどんなビジョンを持って欲しいですか?

やっぱり下川町のブランド力を高めていき、他の地域との差別化が大事だと思います。 例えば下川町は生活環境問題にすごく寄与していて、それを住民の皆さんも関心を持つことにより、地域外の人たちに「うちの町はこういう環境問題に取り組んでいるんです」と伝えるようになって欲しいのです。下川町では、エネルギー政策だけでなく、リユース・リデュース・リサイクルの3R運動も行っていますので、町民は、札幌などの都市と比較するとゴミ分別に関して高い意識を持っていると思いますよ。 それと、いま下川町ふるさと開発振興公社クラスター推進部が行っている「エコポイント」の取り組みは、とてもラフな環境政策だと考えています。このように住民の皆さん参加型の施策の積み重ねによって、今後は自らがリーダーとして企画などに参画してもらえるようにしていきたいです。

参加のきっかけを整えて、徐々に参画へと誘うのは昭和50年代のふるさと運動と似ていますね。 この連続を谷町長としては、どれくらいのスパンで見据えていますか?

まぁ私個人としては死ぬまでだよね(笑)。 でも下川町としては、人口は減っていくかもしれませんが、いまの様々な社会活動や産業そのものが下川町の文化ですから、それらを次の世代、さらに次の次の世代へと伝えていってほしいですね。例え、人口が100人の村になったとしても、100人を構成する幼児、10代、20代、30代、壮年代や高齢者と、世代バランスの取れた社会構造となっていれば、町は持続可能なものになっていくと確信していますよ。

ココカラ
下川町から全国に向けて発信できる特徴あるまちづくりってどんなものですか?

私が30代の頃から取り組んでいるのが広域振興・広域連携です。もちろん下川町単体でまちづくりをすることがベースになるわけですが、より町を活性化させて価値を高めていくには、やはり、他地域との連携が必要になってきますね。そのためには連携するテーマが重要です。テーマで連携すると地域が隣接するだけでなく、飛び地でもやっていけます。例えば、下川町が高知県梼原町や富山県富山市と連携するうえでのテーマは「環境モデル都市」です。それぞれの町が先駆的に行っていることが必ずあり、それを刺激しあい、学び合うことができると思いますよ。

そんな連携のベースとなる下川町単体のまちづくりとしては、どんな取り組みを重要視していますか?

大げさかもしれませんが世界に羽ばたく下川町を目指すとき、基礎となる「地域力」を高めることに重点が置かれますね。 「地域力」とは地域に潜在する資源を活用することです。それは、情報発信の頻度を高めたり、地域内にお金を生み出したり、能力や情熱のある住民を発掘することに繋がります。それには行政と民間との協働と連携が不可欠です。また潜在する地域資源を探求すると共に認識しながら、一つ一つのブランド力を高めて、下川町の「タウンブランド」を形成していくことが求められていると思います。それには、町内に設置されている看板や店舗のファサードを含む街並みを綺麗にするという景観保持の意識が必要だと感じています。以前、しもかわ観光協会が中心となって企画した町のシンボルカラーである「Shimokawa Green」の取り組みなども、町のブランドを形成していく上で一つのケーススタディですね。

住民一人一人と地域の強みや魅力に対する意識の共有を図ったり、まちぐるみでタウンブランドを高めていこうとしたり、コンパクトな下川町ならではの取り組みですね。

それは、町民のおもてなしの言動にも繋がっていくと思います。決して高度な「おもてなし」ではなく、 よその町の人が来たとき、名物人間を聞かれたらすぐに答えられたり、食事の場所を聞かれたら、美味しいお店を教えてあげたりできるような、町の誇りと愛情を感じさせる「おもてなし」を町民一人一人ができたらいいですね。