
下川町開拓の歴史が始まった場所である上名寄に入植した岐阜団体の家系出身。農家として春小麦の初冬蒔栽培やホワイトアスパラガスの施設栽培をしつつ、農業委員会の会長を勤める。また、開拓時代から伝わる岐阜の伝統芸能の承継活動にも尽力する。


下川では施設野菜が取り組まれて相当年月経つんだけど、ハウス導入を始めた当時自分ら農業委員をやっていて、委員会の中で「これから施設野菜やるにはやっぱり補助金なかったらできないな」と言うことになった。当時条例では二分の一が当たり前なことだったんだけど、「三分の二の補助金がなければやってけんよ」と、本当に強硬だったんだ。そこで俺ともう一人の委員で組合長のところへ行って、なんとか町と交渉してこいと言って、三分の二の補助金を確約してきてくれたんだよね。これはやっぱり事件ていうか、一つの大革命だったなって気がするんだけど。そっから始まったんだからね。で、三分の一なりの補助事業が未だに続いてる。


今農協が合併して北はるか農協になったけど、行政管轄の部分はそれぞれだからね。他の北はるか農協の方々から、本当羨ましがられるんだよね。下川でこういうことやってきたから、合併したとき下川町の補助制度がモデルになった。町の支援が下川並みにやってくれっていう風に、他町村もけしかけて。予算的な問題があるので下川ほどいま支援というものはないんだけど、取れるようになって。「下川のおかげ」「合併効果はそこにあるな」って言ってくれる。ありがたいところ。 町がこれだけやってくと、国の方からこんな取り組みがあるという情報も早い。そういうことに関して下川は敏感だし、情報に向かって早く取り組める。それがいまの下川のいいところだなぁ。


期待は農業が途切れないように関わってほしい。こういう小さい市町村では、農業が衰退すれば商業も衰退する。まぁなんもかんも衰退するんだな。全国的に土地相続権があっても登記しない人が多くて、地主不在の農地が増えてきた。土地に魅力を感じていないということだね。我々は規模拡大する意気込みでやっているからちょっとした農地でも欲しいって思うのに。自分も相続権あるけど登記していない土地を、親戚の許可を得て耕作しているところがある。荒廃農地を作っちゃいけないと思ったら努力しなければいけない。


やっぱり生活するためには収益が無かったらどうしようもない。これだけの機械力があるんだから、もっと農地があっていい。ちょっと設備投資が課題なところもあるんだけどね。いまは農機が高いから、経済力が伴わないといけない状況だね。規模拡大していくには難しい時代。だからこそ規模は小さくても高付加価値のものを作ったほうがいい。


歓迎しますよ。今も新規就農者の方々がいるけど、みんなうまく付き合わさせていただいてますし。新規就農者の方々も実習で各農家に入るから、地域の農業者との交流もできちゃう。実習に入ったその家の人たちなんか、実習期間後も困ったことがあればお手伝いしたりね。



下川の商業は何軒もないけど、飲食店はどこの町にも負けないくらいたくさんある。そして俺らみたいなのはちょっとしたきっかけがあれば飲みに行こうって思っちゃう。


交流の機会は、地域地域である。上名寄地区は岐阜の入植者たちから始まったんだけど、彼らから受け継がれた「麦や節」がだいぶ前に町の無形文化財になった。その後は小学校の先生が取り組んで生徒たちに踊らせていて、今はその卒業生らが保存会の踊り手としてすごく貢献してくれている。ありがたいことにね。いまは上名寄郷土芸能保存会っていう名称がおかしくなるくらい、全町から人が集まってきてくれてすごく盛り上がっている。 あと公区の花見の会や新年会では、お年寄りをタダで招待して交流する場を作る。みんな楽しく飲んで語って。そういう地域の交流は大事。若い人たちとは頻繁じゃないけど、こういう交流会で関わるね。 最近は古老という人たちがいなくなって来て、本当の昔を語れる人がいなくなってきた。そういうこと考えたらちょっと寂しいんだよな。やっぱこういうこと [インタビュー記録] も必要なんだな。
