【林産協同組合】理事長 濱下 伸一郎

北海道士別出身。昭和39年、東京の大学を卒業して、父親が経営する工場を継ぐために下川町にUターン。昭和50年代には商工会青年部の部長として活躍し、その後「コロンブスの卵」という町民有志の団体の設立メンバーとして手作り観光で町を盛り上げた。現在はFSC認証材を使った製箸工場を経営するかたわら、林産協同組合の理事長を務めたり、町内で社会的企業の立ち上げを支援する団体に所属したりと、精力的に活動する。


アレカラ
濱下さんが下川町に来てから、印象的だった出来事は何ですか?

私が下川町に来たのは、繁栄を極めた林産業が、大きく変わり始めた頃でした。国有の天然林の減少や木工場過多のため原材料不足が始まり、中小工務店に代わって大手ハウスメ−カが増えてきたことで、低価格な外国産材が流通の中心となって、国産材専門工場を圧迫しました。そのうち行政主導の様々な救援施策の中で、工場を閉めたらお金が支給される「スクラップ&ビルド」が行われました。平成12年頃には、国有林の会計方法が変わったことで、製材の原料の入手に制約が生まれました。こういった時代の流れの中で、うちも製材を作っていたのが箸づくりに特化したように、工場が体制を変えていきました。印象的だったのは、造材部から製材の販売まで全て自社で行っていた100年近い歴史のある木工場の廃業ですね。川上から川下まですべてやる時代の終わりを告げられたようでした。

そんな中で、下川町ではどんな努力が印象的ですか?

腕のいい大工さんがいる工務店はまだありましたし、都市部では建設ラッシュでニーズがあったので、そこへ下川の質のいい木材を供給したのですよ。町内では、公営住宅の建設などの公共事業や、梱包材の製造など、小回りのきく経営で需要を創出していました。変化に適応する努力や経営センスで、企業体質を変えたところだけが、残りましたね。その時は必死でしたが、バブルに入り経営が安定してくると、仕事以外のことを楽しむ余裕も出てきました。その頃から「コロンブスの卵」という町民有志の団体で、アイスキャンドルや万里長城作りなどの、手作り観光に力を入れました。

イマダカラ
今も外材の流通は活発な中、努力と信念で時代の波を切り抜けた方々がいるこの町で、例えば森林関係で働く魅力って、何でしょうか?

下川町の企業は、独自の経営戦略と、経験に裏打ちされた技術で素晴らしい経営をしています。木材は生き物なので、同じ樹種でも生産地で微妙に違います。冬はマイナス30度にもなる下川の自然環境や、海外製品との価格競争がある厳しい条件の中でも、高品質の製品を製造し、取引先の指定に合わせて出荷するのは、製造工場経営の醍醐味だと思いますよ。

下川町の林産業が、これまで根強く残ってきた原動力ってどこにあると思いますか?

今日の下川の林産業のパワ−の源は、素晴らしい人材と、町の丁度いい規模感ですね。下川には、常に危機感を持ちながら、この町でやっていこうと決心している人たちがいます。そして一社だけで頑張るのではなく、いろんな企業が別々の役割で事業の一端を担いあって、個々の小さな改善を積み重ねることで全体がよくなっているのです。林産業はこの町の基幹産業です。みんなこの町が好きなので「自分たちの力で自分たちの町に明るい未来を支えていこう」。そんな気概がありますね。

コレカラ
すごく素敵ですね。そんなみなさんが築いてきたこの町に惹かれて、下川を選んでくる人たちへどんなエールを送りますか?

下川町の林産業の将来予想は非常に難しいのも事実です。海外製品にどう対処するか、為替の問題もありますし、原材料確保の問題、人手不足、社会環境の変化など、いろんな不確定要素がありますよね。だからこそ10年後、20年後の目的地、夢をちゃんとイメージすることが大事です。そうすれば、今何をしなければいけないか分かってきます。一点のゴールに集中して、社会の変化に合わせて柔軟に変わりつつ、多くの人の小さな知恵を借りながら進むことが重要なのではないでしょうか。そうすると、新しい発想が自ずと生まれてくると思います。

下川町の林産業にかける期待とは?

下川ではうちも含めて、FSC認証材を扱う木材工場がいくつかあるのですが、今はまだ大手のバイヤーで認証材を欲しがるところは少ないです。ですが、そのうち市場でのニーズは高まってくるのではないかと思います。つまり社会が下川町に合ってきて、その頃には下川が三歩も四歩も先を行っていることになります。また、タブレット端末が紙の媒体に取って代わり、手紙や固定電話がメ−ルに変わりつつある今でも、やっぱり手書きの手紙をもらうと嬉しいでしょう?そのように変化しいく中で残る大事なことに対応していけば、勝機があるのではないでしょうか。

ココカラ
濱下さんがこの町で誇る暮らしがどのようなものか、お聞かせください。

下川は高齢者が多い町ですが、それは若いあなた方の両親が教えられなかった日本の固有の生活文化を、伝えられる方がたくさんいるということです。挨拶の仕方や、箸の上げ下げから始まる食事の作法、日本人の心の中に残っている「ありがとう」という感謝の気持ち、それを下川の小さな地域の中で、多くの人とふれあうことで、会得してほしいと思います。

確かに、高齢化というのは悪いことのように言われますが、見方を変えるだけで良い面もたくさん見えてきますね。

そうですよ。在るものを観る「目」を持っていれば、寒いし、雪は降るし、コンビニは1軒しかない、電車もないような「ないない尽くし」の町が、不便な中で創意工夫する事の楽しさを実感できる生活環境だということに気づけます。そのようにして先人たちが下川町に起こした小さな営みが、多くの人たちの温い応援で、日本中に普及していった事実があります。スキージャンプ選手の葛西紀明くんや岡部孝治くん、伊東大貴くん、伊藤謙司郎くん、伊藤有希ちゃん、伊藤将充くんは、下川で育ち、世界で羽ばたいています。今の世の中は、私たちが想像できない早さで変化しているので、小さな種でもどの様に変化していくかわかりません。未来を信じ、自己研鑽に励むことはもちろん、多くの人たちの力を借りられるような人脈をつくり、希望を持って少しずつ前進する生き方を、この町で見つけて欲しいですね。

ありがとうございました!