思い切って飛び込めば、壁なく受け入れてくれる

Profile

菊島永詞さん/優里花さん

菊島永詞(きくしまひさし)1986年生まれ 山梨県甲府市出身
菊島優里花(きくしまゆりか)1993年生まれ 福島県伊達市出身
移住した年:2022年


「困ったこと……ないですね」。取材中、そうキッパリ言い切った菊島優里花さん。夫の菊島永詞さんと子どもたちと、酪農家として下川町で暮らしています。親族も知り合いも友人もいない下川町へ移住し、二人三脚で歩んできた菊島夫妻。新規就農後、ちょうど一年を経過したタイミングでお話を伺いました。仕事も人間関係もゼロからスタートで、さぞ予期せぬ苦労があっただろうと「移住して困ったこと、ありませんでしたか?」と、ちょっと下心を込めて聞いてみました。けれど、冒頭の「ないですね」の一言。取材を通じて見えてきたのは、苦労を苦労のまま受け取らないおふたりのやわらかさと、好きなことへの素直な情熱でした。

interview:2025年3月

菊島永詞/優里花

菊島永詞/優里花

山梨県甲府市出身/福島県伊達市出身 2022年移住

どんどん話が進んだのが下川町だった

永詞: 山梨で生まれ育ち、大学を卒業後は都内で働いていました。でも当時から、いつか自分で事業を立ち上げたいと思っていたんです。農業を含む一次産業にも関心があり、広島県や岡山県に見学や体験に行かせてもらいました。現場を知る中で、一番興味がわいたのが酪農で。地元に帰り、2年ほど酪農ヘルパーとして働き、その後は長野県に引っ越して、また酪農の仕事を2年ぐらい経験しました。同時進行で、酪農家として独立できる場所を探していましたが、長野や地元の山梨では、なかなかピンとくる場所が見つからなくて。

優里花: 夫と出会ったのは、私が山梨で働いていたときです。造園の会社で働いていましたが、より野生の植物に触れられる環境を求めて山梨に引っ越しました。だから、私の場合は初めから酪農に興味があったわけではないんです。ただ、一緒に農地探しをしていく中で、この地域にいて夫が目指す暮らしを叶えるのは難しいのではと思っていました。ちょうどその頃、北海道の酪農学園大学から来た先生と山梨でお会いする機会があって、今まで選択肢になかった北海道での暮らしのイメージが急にわいてきて。すぐに北海道で酪農ができる町を探し始めました。下川町が候補に上がったのは、探し始めて1ヶ月後くらいだったよね?

永詞: そうだね。牛を放牧して飼える環境があることと、研修後に引き継げる牧場の見通しが具体的であること、あとはオーナーさんのお人柄という、3つの基準で探していました。道内のいろんな自治体に問い合わせましたが、一番早く、条件に合う話を持ってきてくださったのが下川町で。2021年11月ぐらいに問い合わせて、離農を検討している方がいると教えていただきました。翌月の12月には下見に行きましたね。

優里花: 実際に当時のオーナーさんとお会いして、素敵な方々でしたし、事前にオーナーさんたちがインタビューされた記事も読んでいて、どんな暮らしをしているのか知れたのも、安心感がありました。ただ、譲り受けた農場は、ふたつの山の間にある環境でした。だから放牧するとなると平らな農場より条件がいいとは言えなくて。でも私にとっては森や川が近くにある環境がとても魅力的で。自然の植物をたくさん観察できるのが嬉しくて、押し切った部分はあります(笑)。

放牧の様子(写真提供:菊島さん)

優里花: 早速、2022年2月には研修を兼ねて一週間ほど下川町に滞在しました。雪や寒さは覚悟していましたが、雪質がさらさらして軽く、うつうつとした雰囲気がなくて「この感じなら大丈夫そうだ」と思いましたね。

田舎暮らしは寂しい?

永詞: 2022年の春に下川に移住して、1年半の研修期間を経て2023年11月に独立しました。前のオーナーさんが牛や農業機械などを残してくれたおかげで初期投資はかなり抑えられましたが、初めてのことばかりでいろんなトラブルがありました。仕事に関しては、うまくいかないことも多かったですが、一年無事に乗り切れて、ほっとしています。

優里花: 最初、新規就農者向けの住宅を紹介していただきましたが、街中に住みたいと思って別の町営住宅に入居しました。街中のどこへでも歩いて行ける立地だったから、移住後1年半は、いろんな方と顔見知りになれたのが大きかったなと思います。公園やイベントも多く、子どもたちも楽しめる環境も、ちゃんとあって。今は農場内の住宅に引っ越しましたが、最初から市街地から離れた場所に住んでいたら、仕事と家の往復しかできず、知り合いもなかなか増えなかったかもしれません。

優里花: 町の規模も、ちょうどいいなと思うんです。子どもと散歩していると話しかけてくれる方がいたり、いろんな人とすぐ仲良くなれる機会が多かったり。ご近所づきあいみたいなものに対して、いい意味で期待も不安もなかったのが良かったのかもしれないです。

長野にいた頃、一人目の子どもを産んだばかりの時は、周囲に住んでいる人も少なく、孤立していた感じがありました。下川に来て二人目を出産したときは、いろんな人に「おめでとう」と言ってもらえたり、知らないおばあちゃんから「めんこいね」って言ってもらえたり。子どもたちが風邪を引いたときは仕事にも影響するので大変ですが、自然と人とつながっている感覚があって、心細さや寂しさを感じたことはないですね。

牧草地越しに中心地が見える(写真提供:菊島さん)

永詞: みなさん人懐っこいっていうか、フレンドリーだよね。

優里花: そうだね。町内でバッタリ会った方に「永詞くん、この前のイベントで見なかったけど元気?」って聞かれたこともある(笑)。大人になって下の名前で君付けで呼ばれることって、なかなかないから、最初はびっくりしましたが、壁がない感じがいいなと思います。

性格にもよりますが、私は思い切って輪に入っていったら友達がたくさんできました。書店を営む富永宰子さんに洋裁を習ってからは自分で服を作るようになり、今度トマト農家の中田麻子さんに編み物を教えてもらうんです。自分の好きなことを深めている方が多いのも暮らしが楽しい理由の一つですね。田舎だから寂しい、という感じはないです。むしろ学生時代よりも、いろんな人と話してるかも。今までにないぐらい友達が増えた気がします。

やりたいことが自然と広がる

永詞: 独立したばかりで今年は余裕がありませんでしたが、僕は酪農以外に林業や養蜂にも興味があって。いつか敷地内の森を使って何かできないかなと、なんとなく想像していて……。下川町は林業に関わっている方も多く暮らしていますし、森に関わることをやるにはピッタリの環境だなと思います。

優里花: いつも林業に関する本を読んでいるんですよ。休みの日は町内の図書室に行っているよね。

永詞: うん、新聞を読みに。

優里花: 読書が(永詞さんの)一番のリフレッシュみたいです。私も、仕事以外でやりたいことがあって、町内の月1勉強会「森の寺子屋」に参加しています。

下川町は確かに森林が豊かな町ですが、思ったより市街地に植物がないなと感じていて。実際、道路沿いに立派な植栽ますという緑地帯が整備されているのですが、高齢化などで年々管理が難しくなっているそうです。 だから、私の今までの園芸の仕事を活かせないかと思って。

「森の寺子屋」でアイディアを練って役場の方に提案して、去年から試験的に植物を植えています。最初は小さい規模でも、いずれガーデナーの仕事として町の中の緑を増やしていけたらいいなと思っています。

菊島夫妻の1日

ON(永詞)

04:30 起床
07:30 まで 搾乳、牛舎作業(餌やり、掃除)
08:30 牧草の作業
13:00 昼食
14:00 作業再開
19:00 牧草の作業終了
20:00 夕食、新聞を読む
22:00 就寝

ON(優里花)

05:00 起床
05:30 搾乳、牛舎作業(餌やりや掃除)
07:30 朝食
09:30 子どもたちを送迎
10:00 牧草の作業
13:00 昼食
14:00 牧草の作業再開
15:00 牛舎の作業
18:30 子どもたちを送迎
19:00 夕食
21:00 就寝

OFF(永詞)

04:30 起床
05:00 牛舎作業(餌やりや掃除)
07:30 朝食
08:30 休憩
10:00 家事や読書
13:00 昼食
14:00 牧草を牛舎へ運び入れる、除雪
16:00 牛舎作業(餌やり、掃除)
18:00 夕食、子どもたちと遊んだり新聞を読んだり
22:00 就寝

OFF(優里花)

06:00 起床
07:00 朝食
08:00 家事
10:00 農場内で子どもとそりすべり
12:00 昼食
14:00 ゆきみち書房へ行く
16:00 子どもたちと牛舎で作業
18:00 夕食
20:00 編み物
21:00 就寝

Photo: Yujiro Tada Text: Misaki Tachibana

移住者へのインタビュー

思い切って飛び込めば、壁なく受け入れてくれる

2025.3

「困ったこと……ないですね」。取材中、そうキッパリ言い切った菊島優里花さん。夫の菊島永詞さんと子どもたちと、酪農家として下川町で...

菊島永詞さん/優里花さん

2022年移住

Read more...

周りの熱意に導かれ、今度は自分が受け入れ側に

2024.9

地域おこし協力隊制度が始まったのは2009年度のこと。東京出身の田中由紀子さんも、2016年度採用の協力隊として下川町へ移住しました...

田中由紀子さん

東京都出身 2016年移住

Read more...

「ここは他の地域と違う」という直感を信じて

2024.3

下川町は、たまたま流れ着いて気づいたら何年も住んでいるという方が、決して珍しくない気がします。徳間さんも、そのひとり。...

徳間和彦(とくま かずひこ)

1957年釧路市生まれ 2007年 移住

Read more...

誰にも縛られず、できることから始めよう

2023.10

住む場所を決める基準は、人それぞれ。血縁者がいたり、好きな風景があったり、お気に入りの店があったり、...

塚本あずささん

アロマセラピスト埼玉県出身 2019年移住

Read more...

いつのまにか“しっくりくる暮らし”にたどり着いた

2023.07

筆者が下川町に移住し、まだ数日しか経っていない頃。「美桑(みくわ)が丘」と名付けられた森で、薪小屋を作るワークショップがあると聞き、...

成田菜穂子さん

NPO法人森の生活 東京都出身

Read more...

楽しいことを見つければ 、人も未来もつながっていく

2023.03.29

「「新しいことを始めるのに、遅すぎることなんてない」。口で言うのは簡単です。年齢にかこつけて「今更やっても仕方ない」...

尾潟 鉱一さん

大阪府出身 1984年移住

Read more...

下川は、都会とは違うスイッチが入る町

2023.03.29

「人には、風の人と土の人がいる」という話を聞いたことがあります。ひとところに留まり、その土地での暮らしを味わい根を張る覚悟を持つ人...

吉岡芽映さん

北海道上士別市出身 2020年9月移住

Read more...

型にはまらずやってみよう納得感のある暮らしを求めて

2022.03.29

新型コロナウイルスの蔓延による、あらゆる行為の自粛は、私たちの暮らしを見直す、忘れられないきっかけの一つになりました。...

山本菜奈さん/林将平さん

神奈川県出身 東京都出身

Read more...

下川町に来てから、自分の世界が広がった

2022.03.29

人口の少ない地域での暮らしは閉鎖的、というイメージは、決して珍しくないのではないでしょうか。声優の専門学校に通っていた佐藤飛鳥さんは、...

佐藤飛鳥さん

25歳 埼玉県出身 2017年移住

Read more...

できるだけどんなことにも参加して、地域に恩返しをしたい

2021.11.30

下川町に暮らす女性たちの移住のきっかけは、結婚や転職など人それぞれ。山崎春日さんは下川町の隣町の名寄市で育ち、結婚を機に...

山崎春日さん

45歳 新聞屋、ラジオパーソナリティ

Read more...

いつも誰かが、楽しい道へ導いてくれる

2021.3.25

下川には、手作りが好きな女性たちが作品を持ち寄り、イベント出展などをする「森のてしごとや」という有志のグループがあります...

橋本光恵さん

橋本光恵 44歳 旭川市出身

Read more...

活かしあうつながりのなかで“生産”する暮らしを

2021.1.11

筆者が下川に移住する前、「モレーナ」店主・栗岩さんの記事を、何度も読みました。絵を描きながら海外を旅して、...

富永夫妻

富永紘光 2012年移住 /宰子 2017年移住

Read more...

持続可能な社会を目指して、下川町にたどり着き暮らし続ける理由

2020.6.1

取材をしたのは、2020年3月末。コロナウイルスの感染拡大による自粛要請が、日本各地へ広がり出した、ちょうどその頃です...

奈須憲一郎

46歳 1999年移住 愛知県名古屋市出身

Read more...

自分の気持ちに正直に、ていねいな暮らしを目指して

2019.12.20

生活の中の「今の暮らし、しっくりこないな」という違和感は、時折心の片隅に一筋の煙のように立ち上がってきます...

藤原佑輔

35歳 札幌出身 2017年移住

Read more...

会社と家を往復する忙しさを脱し、農業の道へ

2019.9.30

「子牛、見ていきますか?」と誘われて牛舎に入ると、かわいらしい子牛たちが私たちを見上げ、近づけた手をぺろりと舐めた...

吉田公司

58歳 網走市 2009年移住

Read more...

暮らしと経営、長く続けられる酪農業を

2019.9.20

「子牛、見ていきますか?」と誘われて牛舎に入ると、かわいらしい子牛たちが私たちを見上げ、近づけた手をぺろりと舐めた...

豊田さんファミリー

2014年移住

Read more...

野生に返れる楽しさ、川の魅力を伝えたい

2019.6.11

「小学校1年生のときの文集で『北海道で自然ガイドをしたい』って書いてたんですよね」。その夢がいま、叶ってるんです、と嬉しそうに話す...

園部峻久

2018年移住

Read more...

50年以上愛されてきた卵を通して、新しい幸せを

2019.4.2

「楽しみは、自分で探さないとね」と村上さんがつぶやくと、能藤(のとう)さんはふっと笑った。50年以上の歴史がある「阿部養鶏場」を札幌の...

あべ養鶏場

2016年移住

Read more...

素直に飾らずに暮らせるのがいいんです

2019.3.25

雪にめがけて走り出した息子さんをやさしい眼差しで見守りながら「この子は下川生まれですからねぇ」とつぶやいた。...

高松峰成/慧

2016年5月移住

Read more...

仲間とともに「家具乃診療所」を始めたい

2018.11.19

「一の橋に来てから、人のことを『人間』って言うようになったんですよね」。 木屑が雪のように降り積もる工房の中で、河野さんは「なんでだろう」...

河野文孝

41歳 埼玉県川越市 2016年移住

Read more...

自ら何かを生み出し、恩返しもしていきたい

2018.10.26

「このあいだ作ったフサスグリのジュース、飲んでみます?」 真っ青な空と、緑が映える木々をバックに、「cosotto, hut」は、まさに「こっそりと」...

山田香織/小松佐知子

山田さん福島県出身/小松さん岩手県出身

Read more...

小さいころに食べた下川のおいしいフルーツトマトを作りたい

2018.8.24

研修ハウスで今年から始めたフルーツトマトを眺めながら、直紀さんが「これはちょっと難しい品種で、まだまだうまくいかないんですよね...

睦良田 直紀/まい子

名寄市出身2017年に移住

Read more...

物事を俯瞰する。意志にとらわれすぎず生きていきたい。

2018.5.21

「最近は・・・なんだか落ち着かないですねぇ」 麻生さんはゆったりとした口調でそう言いながら木のカップにコーヒーを注ぎ、...

麻生翼

NPO法人代表理事 愛知県出身

Read more...

誰もやったことのない表現や技術で作品をつくりたい。

2018.2.26

撮影に伺った日は、ちょうど下川神社に奉納する干支のチェンソーアートを制作中だった児玉さん。親子のオオカミの形をした作品を見せてくれた。...

児玉(木霊)光

チェンソーアーティスト 愛媛県生まれ

Read more...

minami

旅をしたら、地元の名産が食べたいでしょう。下川ならではの店をやりたい

2017.11.2

「どうぞ、いらっしゃいませ」 開店前の忙しい時間、私たちが訪れると、仕込みの途中だったのか白い前掛けを外しながら調理場から出てきてくれた...

minami

南 匡和

飲食店経営 札幌市生まれ

Read more...

komine

夢見てきた田舎暮らし。健やかでおいしいトマトを一生つくり続けたい。

2017.08.10

「この箱詰めが終わるまで、ちょっと座って待っててくれる?」訪れた私たちをちらっと目視したあと、笑顔のままで目線を手元に戻しつつ...

komine

中田 豪之助/麻子

東京都出身 2005年に移住

Read more...

komine

だれもが物々交換をしているような、地域と自然と経済を生み出したい

2017.07.11

「これ、どうぞ。今日のおやつです。妻が作ったのでみなさんも食べてください」そう言って差し出されたのは、ヨモギの蒸しパン。

komine

小峰 博之

福岡県生まれ 1998年に移住

Read more...

森の恵みを作品にする。「つくる」という人生を送りたい

2017.03.24

このあいだ、町役場から連絡が来て。町有林で出たパルプ材の中で欲しい木があったら、森に来て印をつけといてって言われてね。

usuda

臼田 健二

静岡県出身 2015年に移住

Read more...

スポーツ、健康、医療、福祉。下川だからできる連携を生み出したい

2017.03.10

「あ、雪が降って来たねぇ。じゃあ、外に行ってみようか?」 和也さんの声に、待っていましたとばかりに「うん!」と答える娘さん...

takemoto-002

竹本 和也/竹本 礼子

2008年に移住

Read more...

visual-interview-03

終わりのない、答えのでないものを、ずっと考え続けていきたい。

2016.12.30

北海道に憧れて、大学卒業後に北海道新聞の記者として移住してきた荒井さん。道内を飛び回る充実した日々の中で、ふつふつと沸いてくる...

荒井 友香

茨城県出身 2015年に移住

Read more...

visual-interview-02

森のあるライフスタイルを、私たち自身が体現していきたいんです。

2016.12.22

二人が出会ったのは2004年。すでに下川に移住していた大輔さんの勤め先である下川町森林組合に、真理恵さんが興味を抱いて...

田邊大輔/真理恵

2004年に移住/2007年に移住

Read more...

旅をして、自然の中で暮らす。自分のやりたいことをやると決めたんです。

2016.11.10

下川に移住を決めたのは、世界一周の旅の最中でした。もう5年も終わりのないような旅をしていたのですが、日本に帰ろうと思って。

_mg_7687

栗岩 英彦

静岡県出身 1991年に移住

Read more...