【森林組合】代表理事 阿部 勇夫

昭和16年(1941年)に下川町で生まれ、下川で育ち仕事をしてきた生粋の下川町民。22歳から75歳まで下川町で養鶏場を営み、2013年に森林組合組合長に就任。経営していた養鶏場は現在札幌の会社の直営場となっている。


アレカラ
阿部さんは半世紀も下川町を見てきた中で、印象に残っている出来事は何ですか?

昭和29年、私が13歳の時に洞爺丸台風があって、下川町の国有林がなぎ倒されたんですよ。その出来事の3年後、私が中学を卒業した頃に冬季の造材業の仕事で山の奥に入るようになって、大きな木が軒並み倒れている風景が印象的でしたね。この倒れた木々を切り出すのに何年もかかりましたよ。切り出した木は下川の製材会社にまわしたり、素材のまま貨物列車で町外へ運び出したり、そんな時代でした。下川町も一の橋も、丸太でいっぱいでしたよ。昭和34年頃は人口が1万5千人と、町にすごく活気がありました。というのも昭和20年頃の終戦後から、樺太や満州などから食糧生産のためにたくさんの人が移住してきて、山を切り拓いて農地をつくっていったからです。しかし、そのうち国内の景気がどんどん良くなっていって地域で食糧を生産するより都会で労働力が求められるようになっていきました。こうして、当初食糧生産のため移住した人たちが、農地だった土地に木を植えて、下川町から去って行きましたね。

その頃の下川町の変化を阿部さんはどう覚えていますか?

あの頃は今のように外部から入る娯楽がないので、皆さん青年団や婦人部の中で、演芸やスポーツの地域活動をやっていたのですよ。下川町もそれぞれの地域にたくさん人がいたので、各地域で大人たちが集まって運動会をしたり、演芸会をしたりしてとてもにぎやかでした。だから、どんどん人が減っていった時期はやっぱり寂しかったですね。

イマダカラ
阿部さんはそういう時代と町の変化を見た中で、いま、下川町で働いて暮らす理由って何だと思いますか?

こんな素晴らしい自然に囲まれた町はないですよ。津波や地震の心配もないですし。自然が厳しいという声もありますが、自然が厳しいのは当たり前ですよ。むしろ今は機械の力もあり、こんな楽なことはないです。私が小学生の頃、冬は「馬そり」といって馬がそりをひいた後を歩くくらいで、除雪なんてなかったのですが、今は行政が機械でやってくれます。林業も昔はすべて人と馬の力で、もちろんチェーンソーも珍しく、手のこでした。だから今は楽で楽で仕方ないですよ(笑)

時代が変わっていくなかで、生活や作業が楽になる以外で、何が変わりましたか?

当時に比べて人間関係が淡白になって、個が尊重されるようになりましたよね。でも都会と違って、ここではひとりぼっちになりませんよ。新しく来る人たちには、 地域と関わる中で自分の価値を見出してくれればありがたいですね。だから私は森林組合の職員にも、横と縦の関係をつくりましょう、個を大事にしながら組織として連携しましょうと言っています。いまは都会でも、いろんな人材の考えを大事にして組織に活かしていこうっていう流れになっていますが、それは下川町でも同じです。

コレカラ
そんな流れのなかで下川町に新しく来る人たちに、阿部さんは何を期待しますか?

下川町に来たからには、自分の人生の希望に向かって進んでいくイメージで思いっきり羽ばたいてほしいです。地震や津波の心配がないし、雄大な自然と広い土地もあります。

阿部さん自身の人生の希望は何ですか?

私は、地域に対する夢や組合に対する夢がありますね。例えば、森林組合でいうと、組織が一丸となって前に進んでいけるように、森づくりや組合経営に対する目標を組織内で共有することが私の役目ですかね。新しく移住してくる人たちには、個を大切にして下川町で地域づくりをしてほしいですね。それは、つまり自分の夢を叶えてくれる地域で、自分らしい仕事をすることです。それが結局は地域を育てることにつながります。

ココカラ
下川町が、幸福度の高い町を目指し全国のモデルとなるためには、どういうことをしている人が多くなればいいと思いますか?

小さくてもいいから一人一人が組織をつくるとか個人で、林業でも農業でも木工でも、下川町で何かに取り組んでくれたらいいですね。目標に向かって進んでいる個人がたくさん住み始めてくれれば、彼らの幸福にも繋がって、町の幸福にも繋がると思います。

そういう個人が集まるようになるために、どんな町であるべきだと思いますか?

私は100年をかけるような天然林の経営ができる町になるといいなと思います。木が倒れたところに木の芽が出て、それが育つように人間が土壌をつくれば、いろんな種類の木が好きなように生えてきます。あとは人間が少し手助けをするだけで、自然に森ができてくるのですよ。それってまちづくりにも当てはまりますね。いろんな人が個性を発揮できる土壌をつくり、自由に芽吹く手助けをすれば、挑戦がどんどん生まれてきて、それが集まって豊かな町ができるんです。同じものをつくろうとして上から押し付ける組織は育ちませんが、個人の個性を大事にして、一人一人の意見を取り上げて、全体の方針に生かす組織は強くなっていきます。私は森も、組合も、下川町もそのようにしたいのですよ。