下川町の基礎知識
TOWN FACTS

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座標(下川町役場)

44°08‘01’‘ N
142°38‘19’‘ W

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森林面積

約90%(町の面積における森林面積の割合)

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人口

人口:3382人(平成28年9月末現在)
人口密度:約5人/1km2、約15,000人/1km2

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町章

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開拓元年

1901年

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国からの受賞/選定

2005年 過疎地域自立活性化優良事例表彰総務大臣賞受賞
「北国の厳しいしばれ(寒さ)を楽しもう!」
2008年 環境モデル都市
2010年 過疎地域自立活性化優良事例表彰総務大臣賞受賞
「森林(もり)と大地と人が輝くまち しもかわ~森林共生低炭素モデル社会の創造~」
2011年 環境未来都市
2013年 バイオマス産業都市
2014年 地域再生計画の認定

環境未来都市(H28年9月1日現在)

神奈川県横浜市3,732,794人
福岡県北九州市956,846人
富山県富山市418,460人
千葉県柏市417,184人
北海道下川町3382人

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町の木

トドマツ

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町の花

エゾリンドウ

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町の有名な農作物

フルーツトマト、小麦、アスパラ(グリーン・ホワイト)

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手延べうどん

日本最北の手延べうどんの町

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アイスキャンドル

アイスキャンドル発祥の町

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万里長城

15年かけて、2000mの万里長城  運ばれた石は15万個以上

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五味温泉

天然の含二酸化炭酸水素塩泉温泉

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待機児童

0人

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スナック

11店

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バイオマスボイラー

北海道で初の木質バイオマスボイラー

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林業/木材の町

8社

“しもりん”が紹介!しもかわの生い立ち

1859年

まだ、だれも踏み入っていない下川町内の名寄川やサンル川に松浦武四郎さんが出かけて行って、詳しく調査をしたよ。

1901年

岐阜県の高鷲村(現、郡上市)から25家族が下川町に引っ越してきて、土地を切り拓きはじめたよ。 これが下川町開拓のはじまりになったんだ。

1919年

新しく線路が作られて、名寄市と下川町の間に鉄道が通ったよ(名寄線)

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1926年

三井鉱山という会社が下川町にきて、サンルに埋まっている金属を掘り取る作業を始めたよ。(サンル鉱業所)

1941年

三菱鉱山が下川町内に埋まっている金属も掘り取り始めたよ。(下川鉱業所)

1960年

下川町の人の数が、今までで最高の数になったんだ。(15,555人、3,210世帯)

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1980年

下川町に住む人が、急にたくさん町から出ていってしまって、「過疎化」という状態にな っちゃった。しまいには、北海道で1番過疎化が進んでいる残念な結果になってしまったんだ。。。(7,713人、2,315世帯)

1983年

下川鉱業所をお休みにしたよ。

1986年

サンル鉱業所もお休みにしたよ

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1986年

荒れた土地を切り拓いて畑を作る時に出た石を使って、中国の万里長城を参考に下川町でも石積みを始めたんだ。

1986年

アイスキャンドルを下川の冬のお祭り会場で初めて飾ったよ。

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1989年

名寄市と下川町の間に電車が通らないことが決まって、線路もなくなってしまったよ。

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2000年

下川町の万里長城築城の長さが2000メートルでついに完成!

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2001年

下川町が名寄市を中心に近くの町と、一緒の町になるかどうかを考える会が作られた。

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2004年

名寄市と一緒にならないことを決めたんだ。


下川町イメージキャラクター「しもりん」プロフィール

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誕生日:12月1日(町制施行日)

性 別:妖精なので性別はありません

性 格:好奇心旺盛、頑張り屋

趣 味:アイスキャンドル作り、石積み(特に下川町の万里長城)、休日に五味温泉でゆっくりすること、スキージャンプの観戦

好きなもの:下川町の森林、手延べ麺、トマトジュース、下川町の野菜

逆境を乗り越えていくまち下川のDNA

これは、下川が現在に至るまで、幾多の苦難を乗り越えてきたドキュメンタリーである。

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未開の地の開拓

1870年代、原生林が生い茂り、半年もの間、雪に覆われている過酷な自然環境の北海道は、「えぞ」や「えみし」と呼ばれ、ヒグマは生息しても人は住めるところではないと思われていた。 …が、1901年、岐阜県高鷲村(現郡上市)から25戸60名ほどが下川に入植。開拓の鍬がおろされた。翌1903年には、岐阜県、新潟県、福井県などからの移住者が相次いで入植。開墾が進められ、翌1903年には米の試作にも成功し、この地で生きる糧を得た。
1910代まで続々と入植者が増えた下川は、農林業など各種産業の成長、人口の増加と社会の順調な発展に伴って1924年に現在の名寄市から独立。1926年にサンル金山、1941年に下川銅山が創業し、まちの盛衰を大きく左右した鉱業も基幹産業の一つとなった。

大火からの復興

1956年、一の橋地区で大火が発生し213戸が全焼。翌1957年には下川市街地でも大火が発生し121戸の店舗や工場などを全焼した。特に一の橋地区は大半を焼失したが、下川市街地とともに目覚ましい復興を遂げ、1960年の国勢調査ではまちの人口が過去最多の15,555人を記録した。

災害からの復旧

1964年からは、3年連続の冷災害に見舞われ、農家経営が逼迫。その煽りを受けた農協も1967年に財政再建団体となったが、この窮状からも8年をかけて脱却した。同じ頃、林業もまた苦境にあった。1964年以降、木材の輸入が完全自由化となり、安価な外材が市場を席巻する中、1981年、湿雪で500haものカラマツ林が被災した。3億円を超える被害額となるも、森林組合がバーベキュー用の木炭とコンロをセットで売り出し、起死回生のヒット商品を生み出した。

市民活動の活発化

下川は、1960年代の高度経済成長に伴う都市圏への人口集中、1970年代の国策や産業構造の変化に伴う基幹産業の衰退が重なり、人口が急激に減少。1980年の国勢調査で人口減少率が北海道1位、全国4位を記録した。さらに、1983年に下川銅山、1986年にサンル金山がともに休山、1989年にはJR名寄本線も廃止となった。 このような状況に危機感を抱いた住民は、町外から人を呼び込もうと、農地を造成したときに出た不要な石を活用し、石積みを体験できる万里築城の築城を1986年にスタート。13万人を超える人々が参加して全長2,000mの万里長城を完成させた。さらに、冬の寒さを逆手にとり、バケツに張った水を凍らせて作るアイスキャンドルを発案。下川では冬祭りの主役となり、今では北海道の冬の風物詩となっている。

まちが消える危機を回避

2000年に地方分権一括法が施行され、自治体への地方交付税の大幅な削減と、合併した自治体への財政支援というアメとムチにより、平成の大合併が推進された。下川町も2003年に近隣市町村と協議会を設立し、合併の可能性について協議。合併か単独か非常に難しい判断だったが、住民との会議や懇談、アンケートの結果、合併せずに単独の市町村として存続していくことを選択した。

人口減少にも一筋の光

しかしながら、人口減少は少子高齢化を伴って進行し、各種産業が衰退。地域経済は依然として厳しい状況が続いていた。このような状況を打開すべく、2008年に環境モデル都市、2011年に環境未来都市、2013年にバイオマス産業都市など、国のモデル地域等の選定を受け、経済的・社会的・環境的価値を創出する持続可能な社会を目指し、地域づくりを進めてきた。この結果、自然動態は依然減少が続くものの、社会動態は近年増加に転じており、人口減少に歯止めがかかりつつあるといった成果が現れている。

逆境を乗り越えていくまち下川の船出

下川は、基幹産業の衰退や自然災害、まちが消滅する危機など、窮地に追い込まれる度、決して諦めることなく、その苦難を乗り越える道を選んできた。日本の総人口が減少局面を迎えた中、下川では近年、地域の人口減少という構造的な難題にも、一筋の光が見えている。 先人の英知と弛みない努力、そして何よりも、逆境に打ち勝たんとするフロンティアスピリッツは、下川のDNAとして脈々と受け継がれている。



下川は、あと一歩。もう一歩のところにいる。

環境未来都市のしもかわ

2011年下川町は国から「環境未来都市」※の選定を受けました。

下川町が提案し選定を受けた内容は、先人たちから引き継いで半世紀にわたって築いてきた森林共生型社会をベースに、①森林総合産業の創造、②エネルギーの自給、③少子高齢化への対応、の3つを柱として、豊かな森林環境に囲まれ、森林で豊かな収入を得て、森林で学び、遊び、心身の健康を養い、木に包まれた心豊かな生活をおくることのできるまち、『森林未来都市』を目指します。さらには下川町で実現した政策・事業をまとめてアジア各国の小規模自治体のまちづくりや地域再生へと送り出します。

環境未来都市

※「環境未来都市」構想とは… 限られた特定の地域を選定し、環境・社会・経済の三つの価値を創造し続ける“誰もが暮らしたいまち”“誰もが活力あるまち”の実現に向け、先駆的プロジェクトに取り組んでいくことです。